鹿児島のシンボルといえば、錦江湾にどっしりとそびえる「桜島」。
毎日眺めている地元の方も、観光でフェリーから見上げた方も、ふと気になったことはありませんか?
「そういえば、なんで『桜島』って呼ぶんだろう?」
桜の花がたくさん咲く島だから? それとも何か歴史的な事件でもあったの?
実は、桜島の名前の由来を調べてみると、神話や歴史上の人物、さらには火山ならではの地形の話まで、実にいろいろな説が残されているんです。
今回は、巷でよく語られる有名な伝説から、地名学的に最も有力とされる説、さらには「いつから桜島と呼ばれるようになったのか」という歴史の変遷まで、分かりやすく紐解いていきますね。
桜島の名前の由来にはどんな説がある?【全5つの説を徹底解説】
桜島の名前の由来には、古文書や郷土誌などに記された代表的な説が大きく分けて5つあります。ロマンあふれる神話から、ちょっと現実的な地形の話まで、まずはその全貌を見てみましょう。
1. 【地形・地名学説】険しい断崖を意味する「サ・クラ・ジマ」説
地名学や言語学の観点から、学術的にもっとも納得がいくとされているのがこの「地形説」です。
日本語の古い地名において、
- 「サ」:狭い、あるいは峻険な(険しい)様子を表す接頭語
- 「クラ」:断崖、崩壊谷、険しい岩壁(「倉」「蔵」に通じる)
を意味します。つまり「サ・クラ・ジマ」とは、「険しい断崖や崩壊谷が連なる島」という意味合いから名付けられたという考え方です。
北岳や南岳の荒々しい山肌、絶えず土石流や浸食が起きる火山の姿をそのまま表したもので、実際の桜島の地形的特徴とぴったり重なります。
2. 【神話・神社説】女神「木花佐久夜姫(サクヤ島)」が転訛した説
古事記や日本神話に登場する美しい火の神・木花佐久夜姫(コノハナノサクヤヒメ)に由来するという説です。
桜島にある月読神社(旧・五社大明神社)には木花佐久夜姫が祀られており、もともとは「サクヤ島(咲夜島)」と呼ばれていたものが、時代が下るにつれて訛って「サクラ島」に変化したと伝えられています。鹿児島の歴史書『麑藩名勝考』や『三国名勝図会』にも紹介されている、非常にロマンのあるお話です。
3. 【人物説】大隅守「桜島忠信」の名前にちなんだ説
平安時代の中頃(10世紀中頃)、大隅国の国司(大隅守)として赴任してきた「桜島忠信(さくらじただのぶ)」という実在の人物にちなむという説です。
『麑藩名勝考』によると、忠信が大隅国で職務についていた際、ある罪を犯した老翁(郡司)を裁く場面がありました。そのとき老翁が、
「老いはてて 雪の山をば いただけど 霜と見るにぞ 身はひえにけり」
(年老いて頭には雪のような白髪をいただいておりますが、あなた様の厳しい霜のようなお裁きを前にして、身も心も冷え切ってしまいます)
と見事な和歌を詠み、感銘を受けた忠信はその罪を許したそうです。この心温まる話が忠信の名とともに世に広まり、島の名になったと伝えられています。
4. 【噴火・伝説】海上一面に桜の花びらが浮かんだ説
かつて桜島が大爆発を起こして海の中から湧き出た際、海上一面に桜の花びら(あるいは一葉の桜の花)が浮かんでいたことから「桜島」と名付けられたという言い伝えです。
かつて鹿児島のローカルCMなどでも取り上げられたことがあり、地元・鹿児島県民の間でもっとも親しまれている伝説の一つといえます。
5. 【奇瑞説】一夜にして桜の木が山になった説
島にあった一本の桜の木が、ある夜、突如として一夜のうちに盛り上がり、大きな山になったという不思議な伝承から「桜島」と呼ぶようになったという説です。海に花が浮かんだ説とは別に、地域に伝わる奇瑞(不思議な前兆や奇跡)として記録に残されています。
どの説が本当?歴史の矛盾と信憑性を冷静に検証してみた
ここまで5つの説をご紹介しましたが、「じゃあ、結局どれが本当なの?」と疑問に思いますよね。
それぞれの説を、歴史的な年代や自然科学の視点から冷静に検証してみると、意外な事実が見えてきます。
| 由来の説 | 信憑性・整合性の考察 | 有力度 |
|---|---|---|
| ① 地形・地名学説 (サ・クラ・ジマ) | 桜島の険しい断崖や崩壊谷といった火山特有の地形と見事に一致。地名学のルールにも適しており、最も理にかなっていると考えられます。 | 極めて高い |
| ② 木花佐久夜姫説 (サクヤ島) | 五社大明神社が創建されたのは江戸時代初期(1625年)と伝えられます。桜島という呼び名はそれ以前からあったため、神社創建後に作られた後付けの説である可能性が高いといえます。 | 後付けの可能性 |
| ③ 桜島忠信説 (平安時代の国司) | 一過性の国司の赴任で地名が決まる例は全国的にも少なく、火山の命名時期とのタイムラグも大きいため、信憑性には疑問符がつきます。 | 低い |
| ④ 花びら浮遊説 ⑤ 一夜山説 | 桜島が誕生したのは約2万6000年も前のこと。その時代には日本列島に現在のような桜は自生していなかったと考えられており、科学的・歴史的には伝説の域を出ません。 | 伝説の域 |
こうして検証してみると、海に花びらが浮かんだ話や木花佐久夜姫のお話はとても美しく親しみやすい伝説ですが、現実的な地名の成り立ちとしては、火山の荒々しい姿を指した「地形説(サ・クラ・ジマ)」がもっとも自然だといえそうですね。
実は昔「桜島」じゃなかった?名前が統一されるまでの歴史
もうひとつ、あまり知られていない面白い歴史があります。
実は、あの島は昔からずっと「桜島」と呼ばれていたわけではありませんでした。時代ごとに呼び名が変わり、正式に一本化されたのは江戸時代のことなんです。
1. 奈良時代後期:桜島こそがもともとの「鹿児島」だった?
奈良時代の噴火記録などを紐解くと、驚くことに、桜島そのものがかつて「麑嶋(鹿児島)」と呼ばれていたと記録されています。
つまり、もともとはあの山こそが「鹿児島」であり、その地名がのちに対岸の街や地域全体へと広がっていったと考えられているのです。
2. 鎌倉~室町時代:「向島(むこうのしま)」と呼ばれた時代
鎌倉時代末期(1334年頃)になると、記録には「向島(向之島)」という名で登場するようになります。
対岸の鹿児島(あるいは当時の宗教的中心地であった鹿児島神宮周辺)から見て、「海の向こう側にある島」という意味でそう呼ばれていました。
3. 室町時代中期~江戸初期:「桜島」の登場と長い併用期間
文明8年(1476年)頃の記録から、ようやく「桜島」という表記が散見されるようになります。
永正9年(1512年)の漢詩にも「櫻島」の文字が見られますが、この時代は「向島」と「桜島」という2つの呼び名が混ざり合い、どちらも使われている状態が長く続きました。
4. 元禄11年(1698年):薩摩藩の通達で「桜島」に一本化
この長かった呼び名の混在に終止符を打ったのが薩摩藩です。
江戸時代の元禄11年(1698年)、薩摩藩は「向嶋ヲ桜嶋ト唱可申旨(向島を桜島と呼ぶように)」という通達を正式に出しました。この藩命によって、島の名は正式に「桜島」へと統一され、現在に至っています。
まとめ:火山の姿を表す言葉から、親しまれる島の名前へ
桜島の名前の由来を振り返ってみると、実に奥深い歴史が見えてきます。
- 語源の真相:火山の険しい断崖を表す「サ(峻険)・クラ(断崖)・ジマ」という地形説がもっとも理にかなっている
- 伝承の魅力:海に花びらが浮かんだ伝説や、木花佐久夜姫(サクヤ島)といったロマンあふれる物語が後世に語り継がれた
- 歴史の変遷:かつては「鹿児島」や「向島」と呼ばれ、元禄11年(1698年)に薩摩藩によって正式に「桜島」へ統一された
荒々しい火山の地形から生まれた言葉が、時を経て神話や伝説と結びつき、そして江戸時代にひとつの名前として定着した思うと、フェリーのデッキから眺めるいつもの桜島が、また少し違って見えてきませんか?
今度桜島を訪れるときは、そんな名前のルーツに思いを馳せながら、雄大な景色を楽しんでみてくださいね。