「父の日って誰が決めたの?」
そんなふとした疑問から始まるこの記事では、父の日の起源とその感動的な由来をわかりやすく解説していきます。
実は、父の日を生んだのは一人の女性の深い愛と勇気でした。
この記事では、「父の日は誰が決めたの?感動の由来と知られざる人物」について紹介します。
- 父の日を初めて提案した人物とその背景
- 初の父の日がいつどこで始まったのか
- 父の日にバラを贈るようになった理由
- アメリカで記念日として広がった経緯
- 日本や世界の父の日の違いと共通点
この記事を読めば、父の日の本当の意味や、感謝を伝えるきっかけとしての価値がより深く理解できますよ。
父の日は誰が決めた?誕生のきっかけとその背景
父の日は一体誰が、どんな理由で決めたのでしょうか?
母の日と並んで知られるようになったこの記念日には、実は一人の女性の深い愛情と感謝の気持ちが込められています。
この見出しでは、そんな父の日誕生の由来や、背景にある人物のストーリーを丁寧に解説していきます。
ソノラ・スマート・ドッドが抱いた特別な思いとは?
父の日を最初に提唱したのは、アメリカ・ワシントン州に住んでいたソノラ・スマート・ドッドです。
彼女が父の日を作りたいと思ったきっかけは、自身の父であるウィリアム・ジャクソン・スマートへの深い感謝の気持ちでした。
ソノラが幼かった頃、南北戦争が勃発し、父ウィリアムは軍に召集されました。
その間、母が6人の子どもを一人で育てていたのですが、過労が原因で早くに亡くなってしまったのです。
そこからウィリアムは、戦争を終えた後、男手一つで全ての子どもたちを育て上げたのです。
そんな偉大な父の姿を見ていたソノラは、母の日があるなら、父にも感謝する日があって良いのではと考えました。
そこで彼女は、教会に「父親を称える礼拝をしてほしい」と頼み込んだのです。
この行動がきっかけとなって、1910年6月19日、アメリカのスポケーンという町で、世界初の父の日の祝典が行われました。
この時点ではまだ公式な記念日ではなかったものの、ソノラの熱意が地域の人々の心を動かしたのです。
初めての「父の日」はいつ?どこで行われたの?
父の日が実際に初めて祝われたのは、1910年6月19日です。
場所はアメリカのワシントン州スポケーンという町で、教会を中心に小さな祝典として開催されました。
この日付は、ソノラ・スマート・ドッドの父ウィリアムの誕生月である6月に合わせて選ばれたものです。
彼女は、父親の存在を讃えたいという強い想いを持ち、教会の牧師に父親を称える礼拝をお願いしました。
その願いが受け入れられたことで、地域全体で初の「父の日」が実現したのです。
当時すでに「母の日」が存在していたため、「父の日もあるべきだ」というソノラの提案には多くの共感が集まりました。
この動きは地元のYMCA(キリスト教青年会)にも支持され、次第に市民の間に広がっていったと言われています。
この1910年の小さな祝典が、のちの正式な「父の日」の礎となりました。
赤いバラや白いバラを身につけて父に感謝を伝えるという文化も、この時期に生まれたものとされています。
父の日の由来に込められた感動エピソードとは?
父の日はただの記念日ではありません。
そこには、一人の父親と娘が過ごした日々の中で育まれた深い愛と感謝が込められています。
この見出しでは、父の日がどれほど個人的で温かい背景から生まれたのかを紐解いていきます。
ドッド夫人の父親ウィリアムとの感動秘話
父の日を提唱したソノラ・スマート・ドッドの人生は、まさに父親との絆によって彩られていました。
南北戦争で召集されたウィリアム・スマートが復員したとき、家族はすでに母親を失っていました。
ウィリアムはそこから一人で6人の子どもたちを育て上げます。
朝から晩まで働きながら、子どもたちの世話をし、教育や生活を支えていたのです。
ソノラにとって、そんな父親はまさにヒーローのような存在でした。
母親のように子どもたちを慈しみながら、父親としても頼もしく、強く家族を支えていたウィリアムの姿を、ソノラは一生忘れることができませんでした。
母の日が広まる中で、「なぜ父の日がないのか」と感じたソノラは、自らの体験をもとに行動を起こします。
ただ感謝を伝えたい、その一心で始めた運動だったのです。
このような家族の物語が、多くの人々の心を打ち、父の日という文化が形になっていきました。
白いバラと赤いバラの意味と由来
父の日といえば、プレゼントや手紙と一緒に「バラの花」を贈るイメージがありますよね。
実はこの習慣にも、深い意味が込められているんです。
父の日にバラが選ばれたのは、ソノラ・スマート・ドッドが父親の墓前に白いバラを供えたことが始まりとされています。
父の日の初期の祝典では、「父が存命であれば赤いバラ」「亡くなっていれば白いバラ」を胸に飾るという習慣が広まりました。
このバラの色分けは、「今も感謝を伝えられる喜び」と「もう会えないけど感謝の想いを捧げる気持ち」を象徴しているんです。
当時のYMCAの青年たちもこの習慣に賛同し、父を称えるためにバラを身につけて集まったといわれています。
現在では、父の日の花としてバラを贈る文化は薄れてきているかもしれませんが、背景にあるこのストーリーを知ることで、より感謝の気持ちを深く伝えることができるはずです。
父の日が世界中に広がった理由とは?
アメリカの小さな町で始まった父の日は、やがて国全体、さらには世界中へと広がっていきました。
そこには政治的な後押しや、時代背景に沿った価値観の変化が関係しているんです。
ここでは、その広がりのきっかけとアメリカで正式に記念日として認められるまでの流れをご紹介します。
アメリカで正式に記念日となった経緯
1910年にスポケーンで最初の「父の日」が開催されてから、数十年もの間、父の日は地域的な行事の一つに過ぎませんでした。
しかし、父という存在に感謝を捧げるこの記念日は、徐々に各地へと広まっていきます。
1916年には、当時のアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンがスポケーンを訪れ、父の日の祝典で演説を行いました。
この出来事が、国レベルで父の日が注目されるきっかけとなります。
その後、1966年に第36代大統領リンドン・ジョンソンが大統領告示を発し、「6月の第3日曜日を父の日とする」と公式に宣言しました。
さらに1972年には、父の日がアメリカの国の記念日として正式に制定され、ついに全国的な祝日として定着したのです。
こうして、父の日は政治的な後押しを受けながら、ただの地域イベントから国民的な記念日へと昇格しました。
その影響力は他国にも波及し、日本をはじめ多くの国で「父の日」が取り入れられるきっかけにもなったのです。
日本や世界の「父の日」はどう違う?
父の日は世界中で祝われていますが、実は日付や祝い方には国によって大きな違いがあるんです。
まず日本では、アメリカの慣習にならって「6月の第3日曜日」が父の日とされています。
この日は、家族で食事をしたり、プレゼントを渡したりして父親に感謝を伝えるのが一般的ですね。
アメリカでも同じく6月第3日曜日に祝われており、最もポピュラーなスタイルとなっています。
ただ、国によってはまったく違う日付で祝われることも多いんですよ。
たとえば台湾では「8月8日」が父の日です。
これは「八八(パーパー)」の発音が「パパ」と似ているからというユニークな理由があります。
また、カトリック圏のイタリアやスペインでは、イエスの養父・聖ヨセフを祝う「3月19日」が父の日になっています。
この日は宗教的な意味合いも強く、伝統的な菓子「ゼッポレ」を食べる習慣もあります。
ドイツでは「昇天日」というキリスト教の祝日に合わせて父の日を祝い、男性たちが集まってハイキングや飲み会を楽しむというユニークなスタイルもあります。
このように、父の日の文化はその国の風土や宗教、言葉遊びなどが反映されていて、とってもバラエティ豊かなんです。
まとめ
今回の記事ではこんなことを書きました。以下に要点をまとめます。
- 父の日はアメリカのソノラ・スマート・ドッドが提唱した記念日
- 初めての父の日は1910年6月19日にワシントン州スポケーンで開催
- ドッド夫人は男手一つで育ててくれた父親への感謝から活動を始めた
- 父の日の花には「白いバラ」と「赤いバラ」が象徴的に使われていた
- アメリカでは1972年に正式な国の記念日として制定された
- 日本や世界各国でも日付や祝い方がさまざまに存在している
この記事を通して、父の日に込められた本当の意味や、提唱者の思いを知ることができましたね。
ぜひ、今年の父の日には、ただのイベントとしてではなく、改めて「ありがとう」の気持ちを伝えるきっかけにしてみてください。