「煩悩は108個ある」と聞いたことはあっても、実際にどんな内容なのかまでは知らない人が多いのではないでしょうか。
年末になると除夜の鐘の話題とセットでよく出てきますが、一覧を見てみると漢字だらけで難しく感じてしまいます。
この記事では、煩悩の基本的な意味から、なぜ108個と言われるのか、その内訳と一覧をできるだけやさしい日本語で整理します。
さらに、三毒や六大煩悩といった基礎的な考え方、現代を生きる私たちが煩悩とどう付き合えばよいのかについても解説します。
「108の全部を暗記する」ことが目的ではありません。
自分の心のクセを知り、少し楽に生きるヒントとして、煩悩の考え方を一緒に眺めていきましょう。
そもそも「煩悩」とは何か
年末になると何となく耳にする「煩悩」という言葉ですが、日常会話では「欲望」や「欲にまみれた状態」というざっくりしたイメージで使われることが多いです。
けれども、仏教でいう煩悩はもう少し広い意味を持ち、人の心を悩ませたり、落ち着きを奪ったりする、さまざまな感情や考え方を含んでいます。
まずは、この「煩悩」という言葉が本来どのような意味を持っているのかを、やさしい言葉で整理してみましょう。
仏教でいう煩悩の意味
仏教でいう煩悩とは、一言でまとめると「心身を悩ませ、乱し、汚してしまう心の働き」のことです。
怒りや嫉妬、後悔、執着、不安など、私たちを苦しくさせる感情や考え方の総称といえます。
もう少し別の言い方をすると、次のように整理できます。
- 迷いや苦しみの原因となる心のクセ
- 本当の幸せ(悟り)に向かうことを妨げる心の傾き
- 自分や他人を傷つけてしまう方向へ動きやすい心のクセ
仏教は、「人間はみな煩悩を持っている」という前提に立ち、そのうえでどう向き合っていくかを教えている教えです。
つまり、煩悩があること自体が「悪」なのではなく、その扱い方が大事だという考え方になります。
日常語でいう「欲望・イライラ・執着」との違い
日常会話でも「煩悩まみれ」「欲望に負けた」などと言うことがあります。
この場合の煩悩は、主に次のようなイメージで使われています。
- お金やモノへの強い欲張り
- 食べ過ぎ・飲み過ぎ・買いすぎ
- 性的な欲望
- 名誉欲・承認欲求
仏教的な煩悩は、これよりもう少し広く、心を苦しくさせるありとあらゆるクセを含めて考えます。
「怒りっぽい」「クヨクヨしてしまう」「何でも自分のせいにしてしまう」「人の成功を喜べない」といった状態も、煩悩の一種とされます。
三毒と六大煩悩という基礎セット
数ある煩悩の中でも、とくに根っこにあるものとして「三毒」と「六大煩悩」という言葉がよく使われます。
三毒とは、次の3つの心です。
- 貪(とん):もっと欲しい、まだ足りないと求め続ける心
- 瞋(しん):腹を立てたり、恨んだりする心
- 癡(ち/痴とも書く):ものごとの本質が見えず、誤解や思い込みにとらわれる心
さらに、この三毒に次の3つを加えたものが「六大煩悩(六大随眠)」と呼ばれます。
- 慢(まん):自分を実力以上に高く見てしまう心(慢心)
- 悪見(あくけん):物事を歪んだ見方でとらえる心
- 疑(ぎ):大切なことに確信が持てず、すべてを疑ってしまう心
この記事で紹介する「108の煩悩」は、この六大煩悩をさらに細かく、さまざまな組み合わせで分類したものと考えるとイメージしやすくなります。
なぜ煩悩は「108個」なのか
煩悩と聞くと、ほとんどの人がセットで思い浮かべるのが「百八」という数字ではないでしょうか。
除夜の鐘が百八回つかれることもあり、「煩悩は百八個ある」というイメージだけが一人歩きしがちですが、実はそこにはいくつかの数え方や由来の説があります。
ここでは、代表的な説をおさえながら、なぜ煩悩の数が「百八」と言われるようになったのかを丁寧に見ていきます。
六根・感情・時間を掛け合わせる数え方
煩悩が108個とされる理由の一つに、「六根」と呼ばれる人間の6つの感覚から数える方法があります。
六根とは、次の6つの感覚です。
- 眼(見る)
- 耳(聞く)
- 鼻(嗅ぐ)
- 舌(味わう)
- 身(触れる)
- 意(心で考える)
ここに、感じ方の3つの状態を掛け合わせます。
- 好:心地よい
- 悪:不快
- 平:どちらでもない
さらに、心の状態が「清らかな方向(浄)」か「濁った方向(染)」かの2種類。
そして時間を「過去・現在・未来」の3つに分けて、すべて掛け合わせると次のようになります。
6(六根)×3(好・悪・平)×2(浄・染)×3(過去・現在・未来)=108
この考え方では、「私たちは、見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・考えるという6つの入り口から、いつでもどこでも煩悩が生まれてしまう」ということを象徴的に表しています。
十纏と九十八随眠から108になる説
もう一つ、有名な数え方が「十纏(じってん)+九十八随眠(くじゅうはちずいみん)=108」という説です。
インドの高僧・天親菩薩が著した『倶舎論(くしゃろん)』という論書をもとにしています。
ざっくり言うと、
- 九十八随眠:心の奥底に眠っている、98種類の「根っこの煩悩」
- 十纏:日常生活で表に出やすい、10種類の「まとわりつく煩悩」
この2つを合わせて108とする考え方です。
随眠とは「眠っているもの」という意味で、ふだんは自覚していなくても、何かのきっかけで顔を出す心のクセを指します。
纏は「まとわりつく」という字のとおり、私たちの行動にベタベタくっついて離れないような煩悩です。
この記事で掲載する一覧は、この十纏+九十八随眠という考え方をベースに、意味をできるだけ平易に言い換えたものです。
四苦八苦や暦に由来する説
他にも、煩悩の数が108になる理由として、次のような説があります。
- 四苦八苦の数を組み合わせる説
- 四苦(生・老・病・死)=4
- 八苦=8
- それぞれを「苦=9」と見立てて、4×9+8×9=36+72=108
- 暦から数える説
- 12か月+二十四節気(24)+七十二候(72)=108
どちらも、「一年のあいだに、私たちがさまざまな形で悩んだり揺れ動いたりする」ことを象徴的に表したものとされています。
正確な歴史的根拠というよりは、「人間の苦しみは実に多彩で多い」というイメージを伝えるための数え方と考えるとよいでしょう。
除夜の鐘と108の関係
大晦日にお寺でつかれる「除夜の鐘」は、この煩悩108の数に合わせて108回つくのがならわしです。
一般的には、大晦日のうちに107回、新年が明けてから1回つくお寺が多いと言われています。
鐘を一つひとつ鳴らしながら、「今年一年の煩悩」に区切りをつけ、新しい一年を少しでも清らかな心で迎えようという願いが込められています。
108という数字は、人間の心のクセの多さと、それでもなお前を向いて生きていこうとする決意を象徴しているとも言えます。
108の煩悩一覧(やさしい日本語バージョン)
煩悩と聞くと、ほとんどの人がセットで思い浮かべるのが「百八」という数字ではないでしょうか。
除夜の鐘が百八回つかれることもあり、「煩悩は百八個ある」というイメージだけが一人歩きしがちですが、実はそこにはいくつかの数え方や由来の説があります。
ここでは、代表的な説をおさえながら、なぜ煩悩の数が「百八」と言われるようになったのかを丁寧に見ていきます。
108の内訳と「九十八随眠+十纏」という構造
先ほど触れた通り、108の煩悩は大きく分けると次の2つから構成されます。
- 九十八随眠:心の根っこに眠る98種類の煩悩
- 十纏:日常生活で表に出やすい10種類の煩悩
九十八随眠は、
- 私たちが生きている「世界の段階」(欲界・色界・無色界)
- 苦しみについての4つの真理(四諦:苦・集・滅・道)
と、六大煩悩を組み合わせて分類した、かなり専門的な体系です。
ただ、1つひとつをあまり堅苦しく考える必要はありません。
ここでは、難しい用語は最小限にとどめ、108個を「こんな心のクセなんだな」というレベルでつかめるよう、やさしい日本語に言い換えて並べていきます。
108の煩悩リスト|1〜108を簡単な日本語で言い換え
※原典の分類順に沿いつつ、意味を短く、日常語に近づけています。
※同じような内容が続くのは、「状況や世界が違っても、似た煩悩が何度も顔を出す」ことを示しています。
- 何かにしがみついて離れられない心
- どうしても人を許せない強い怒り
- 道理が分からず、つい愚痴をこぼす心
- 自分を偉いと思ってしまうおごり
- 正しいことさえ疑ってしまう心
- 身体に強くこだわりすぎる心
- ものごとを極端に白黒で考える心
- 因果応報などの法則を認めない心
- 間違った考えを本気で正しいと思い込む心
- おかしな教えを正しいと信じ込む心
- もっと欲しいと求め続ける欲
- 相手を憎んでしまう心
- 悪いと知りつつ悪い行いをしてしまう心
- 自分のすごさを他人に誇りたがる心
- 本当のことを疑い続ける心
- 行いの結果など「報いはない」と思い込む心
- 自分が一番優れていると思い上がる心
- 抑えがたい激しい欲求
- ささいなことでもイライラしてしまう心
- 無知から愚かな行動をとってしまう心
- 自分は特別だとふんぞり返る心
- 正しい教えを信じられない心
- 因果関係そのものを認めようとしない心
- 誤った見方に固くしがみつく心
- 何かを求めずにはいられない心
- 怒りで心が安定せず、落ち着けない状態
- 自分でも愚かだと思う行動をしてしまう心
- ことあるごとに自慢してしまう心
- 真実を受け入れられない心
- 自分の行いに結果は返ってこないと思う心
- 間違った考えを手放せない心
- 誤った教えにいつまでもしがみつく心
- 魂の底から湧き上がるような欲望
- 何度も同じ愚かな行動を繰り返してしまう心
- 自分のすごさを見せびらかしたい心
- 正しい教えそのものを疑ってしまう心
- 体の美しさ・強さなどに強くとらわれる心
- 物事を極端に決めつけてしまう心
- 因果応報などの筋道を否定してしまう心
- 「自分だけが正しい」と思い込む心
- 間違いを正しいことだと勘違いする心
- 必要以上に欲しがってしまう心
- 何度注意されてもやめられない愚かな行動
- 他人の前で偉そうにふるまいたくなる心
- 正しいことも信じられない疑い深さ
- 善悪の結果を認めない心
- 自分は正しく、他人は間違っていると思う心
- 次から次へと欲がわき上がってくる心
- 自分でも止められない愚かなふるまい
- 人より上だと感じてしまう優越感
- 何もかも信じられない虚無的な心
- 因果応報を全面的に否定する心
- おかしな教えを手放せない心
- 目に見えないものへの欲求(名誉・承認など)
- 他人や世界を悪くとらえてしまう考え
- 自分のことを自慢せずにはいられない心
- 真実そのものを怪しんでしまう心
- 善をしても無意味だと感じてしまう心
- 「自分だけ正しい」という姿勢を崩せない心
- 間違った教えにさらに深く入り込んでしまう心
- 精神的なものへの強い執着
- 怒りが憎しみに変わっていく心
- 自分の優秀さを人に知らしめたい心
- 正しい道を信じきれない心
- 心身を自分の思い通りに支配したい欲望
- バランスを欠いた極端な思考
- 因果応報を何度でも否定してしまう心
- 誤った見解を「これが真理だ」と思い込む心
- 歪んだ考えにこだわり続ける心
- 魂レベルで燃え上がる激しい欲望
- 反省しても繰り返してしまう愚かな行為
- 自分への甘さから生まれる慢心
- 真理そのものを疑いの目で見る心
- 自分の行いが自分に返ると信じない心
- 自分だけが正しく、皆が間違っていると思う心
- 無意識の奥底から湧いてくる欲求
- 真理に対して根本的な無知でいる心
- 自分のすごさをアピールせずにいられない心
- 正しい教えにもツッコミを入れたくなる心
- 善悪の報いを信じない心
- 間違いを本気で「正しい」と思い込む心
- 何かを欲しがる気持ちそのものが止まらない心
- 悪いと分かっていてもしてしまう行い
- 人を傷つけてもかまわないという悪意
- 何でも疑ってかかる疑心暗鬼の心
- 自分の行いの結果が自分に返ると知らない心
- 明らかな間違いに執着し続ける心
- 一度信じたものを盲目的に信じ込む心
- 生まれつき持っている欲深さ
- 生まれつき持っている怒りっぽさ
- 生まれつき持っている悪いクセの行動
- 生まれつき持っている慢心
- 自分では制御しにくい強い欲望
- 自分でも止めにくい愚かなふるまい
- 気づけば優越感に浸っている癖
- 抑えようとしても抑えられない欲
- ダメだと思っていてもやめられない悪い行動
- どうしても抜けない思い上がり
- 自分の悪事を恥ずかしいと思わない心
- 他人の目を気にせず悪事をしてしまう心
- 人の幸せや成功を素直に喜べない嫉妬心
- 分け合うことができないケチな心
- 何度も過去を悔やんで前に進めない心
- 心身が重く、やる気が起きない眠気のような状態
- 心が落ち着かず、ソワソワして集中できない状態
- 気持ちが沈み込み、ふさぎ込んでしまう心
- 怒りが爆発してしまう激しい憤り
- 自分の罪や失敗を隠そうとする心
この一覧を眺めると、言葉は難しくても、「ああ、これは自分にも当てはまるかもしれない」と感じるものがいくつかあるのではないでしょうか。
108すべてを覚える必要はありません。
大切なのは、「人間にはこれだけ多様な心のクセがある」「だからこそ、お互いさまでもある」という視点です。
現代人にとくに関係が深い煩悩|三毒・六大煩悩を具体例で見る
108のリストはかなり細かい分類ですが、実際には「三毒」と「六大煩悩」を押さえておくだけでも、日常生活での気づきは大きく変わります。
貪(とん)|「もっと欲しい」が止まらない心
貪は、「もっと欲しい」「まだ足りない」と求め続ける心です。
お金・モノ・地位・評価・愛情など、対象はさまざまです。
例えば、次のような心の動きはすべて貪のあらわれです。
- 買い物をするとき、必要以上に買い込んでしまう
- SNSの「いいね」の数が気になって仕方がない
- 人よりも上のポジションでないと気が済まない
欲そのものは生きるために必要ですが、貪は「満ち足りているのに、足りないと感じ続ける状態」を指します。
この状態が続くと、どれだけ手に入れても心が休まりません。
瞋(しん)|すぐ腹を立ててしまう心
瞋は、怒りや憎しみの心です。
瞬間的にカッとなるだけでなく、根に持ち続ける心も含みます。
- 渋滞や満員電車でイライラが止まらない
- 人のちょっとした言葉を何度も思い出して怒り直す
- 「あの人だけは許せない」と心の中で繰り返してしまう
怒り自体が悪いのではなく、「自分も相手も傷つけてしまう怒りの扱い方」が問題になります。
瞋が強いと、冷静な判断ができず、後悔につながる行動を取りやすくなります。
癡(ち)|ものごとの本質が見えない心
癡は、真理が見えず、誤解や思い込みにとらわれる状態です。
「無明(むみょう)」とも言われます。
- 短期的な利益ばかり追いかけて、長期的な損に気づかない
- 自分の価値は年収や肩書きだけで決まると思い込む
- 幸せの条件を狭く決めつけて、自分で自分を苦しめてしまう
癡は、「知らないこと」そのものというより、「偏ったものの見方に気づかない状態」とも言えます。
ここに貪や瞋が重なると、行動はどんどん極端になっていきます。
慢・疑・悪見|自惚れ・疑い・思い込みの3セット
六大煩悩を見ていくと、三毒に加えて「慢・疑・悪見」という3つが重要になります。
- 慢:自分を実力以上に高く見てしまう、自惚れの心
- 疑:大事なことに確信が持てず、何もかも疑ってしまう心
- 悪見:ゆがんだ価値観や間違った前提にしがみつく心
例えば、次のような状態は、この3つが入り混じったものと考えられます。
- 自分は正しく、相手は全部間違っていると思い込む
- 不安から何でも疑ってしまい、人の善意を受け取れない
- 一度決めた価値観を見直そうとせず、違う意見を排除してしまう
108の煩悩の多くは、こうした六大煩悩が、場面や世界(欲界・色界・無色界)や理解度によって細かく分類されたものと見ることができます。
108の煩悩をどう生かすか|日常生活での付き合い方
最後に、煩悩108を「難しいリスト」で終わらせず、日常生活にどうつなげていくかを考えてみます。
自分の「よく出る煩悩」に名前を付けてみる
108すべてを覚える必要はありませんが、「自分にとくに出やすい煩悩」にラベルを付けておくと、少し距離を取って眺められるようになります。
例えば、
- つい買いすぎるなら「貪のスイッチが入ったな」
- 何度も同じことで怒ってしまうなら「今日は瞋が強めだな」
- 何でも悪い方に考えてしまうなら「悪見と癡が手を組んでいるかも」
という具合です。
「これは自分」ではなく「今この煩悩が出ている」と捉え直すことで、少しだけ冷静さが戻ってきます。
呼吸・瞑想・メモで心の状態を客観視する
仏教の修行というと難しそうに感じますが、現代で取り入れやすい形にアレンジすることもできます。
例えば、次のような小さな習慣です。
- イライラしたとき、ゆっくり深呼吸を数回してみる
- 寝る前に、その日心がざわついた出来事をメモしてみる
- 「今、自分の心にどんな感情があるか」を言葉にしてみる
これはマインドフルネスとも重なる方法で、「煩悩そのものを消す」のではなく、「煩悩に飲み込まれずに眺める」練習になります。
煩悩をゼロにするのではなく「方向を変える」という考え方
仏教には「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という言葉があります。
煩悩を完全に消し去るのではなく、そのエネルギーの向きを変えることで、むしろ悟りの道に役立てていくという考え方です。
例えば、
- 貪の力を「学びたい」「成長したい」という方向に生かす
- 瞋の力を「不正を許さない正義感」に変えていく
- 癡に気づくことで、「知らないことを知ろう」と謙虚に学び続ける姿勢を持つ
といったイメージです。
108の煩悩のリストは、私たちの中にあるネガティブな面を暴くためだけの表ではありません。
「どんな心のクセがあるのか」を知り、その力をどこへ向けるかを選び直すためのチェック表だと受け取ることもできます。
まとめ|108の煩悩は「悪い心リスト」ではなく、生き方を見直すチェック表
本記事では、煩悩の基本的な意味から、108個と言われる理由、その一覧と構造、三毒・六大煩悩との関係、そして日常での付き合い方までを見てきました。
- 煩悩とは、心を悩ませ、乱し、汚してしまう「心のクセ」のこと
- 108という数字には、六根や十纏+九十八随眠、四苦八苦や暦など、さまざまな由来がある
- 108の一覧は、六大煩悩が場面や世界によって細かく現れた姿を整理したもの
- 三毒(貪・瞋・癡)と、慢・疑・悪見を押さえると、全体像がつかみやすい
- 煩悩をゼロにするのではなく、自分の中にある煩悩に気づき、その向き先を選び直すことが大切
年末に除夜の鐘の音を聞いたとき、「人間には108もの煩悩があるからダメだ」と責めるのではなく、「これだけいろいろな心のクセがあっても、お互いなんとか生きている」と少し穏やかな目で自分や人を見つめ直すきっかけにしてみてはいかがでしょうか。
108の煩悩は、私たちを縛りつけるための黒いリストではなく、心の動きを丁寧に観察するための鏡のようなものです。
ときどき見返しながら、自分のペースで付き合い方を探っていけるとよいですね。
